有岡くんになりたかった小学生が音楽家になるまで

1999年生まれの中の人が、8歳で有岡くんと運命の出会いを果たし、その後の人生が一変した話を長々と綴る完全自己満な自分史です。

9歳の少女、「有岡くんになりたい。」と思う。Vol.1

Hey!Say!JUMPとの出会いから3ヶ月。

JUMPと運命の出会いを果たした私は、夏休みが明けた頃、何も考えず学校に行っていた小学生から、どうしても学校に行けない小学生になっていました。

その理由は、JUMPに出会ったからではなく、サボりたいとか早めの反抗期とかでもなく、環境によるストレスだったらしいです。

とにかく、猛烈に体がだるくて、ひたすらに寝ることしかできなかった記憶だけが鮮明に残っています。

 

9歳、ついにあのCDを手にする。

行けないな…と思っていたら、なんか秋になりました。

誕生日も過ぎ、私は学校に行けない8歳から、学校に行けない9歳になりました。

解決方法もわからなくて、ただ理由の見当たらない猛烈なだるさに襲われ、ただ毎日、近所の友達が運んできてくれる連絡帳を開いては、クラスメイトの「明日も待ってるよー」の寄せ書きのプレッシャーに押しつぶされていきました。

 

朝から冷たい雨が降る11月のある日、気候のせいもあってすっかり気落ちしてしまった私を見かねた母が、突然、「おでかけしようか。」と言いました。

着いたのは、地元の駅前にあるショッピングモール。

音楽好きの母に連れられ、気づけば私はCDショップの中に立っていました。

すると、目に飛び込んできたのはあの日のお兄さんたちの写真。

「…え、ここで…!?」と思いました、正直。

初めてCDを手にした私。見つけてしまった「Ultra Music Power」。

もう遅いです。

「これにする!!!!」と咄嗟に叫ぶと、そんな大きな声、もうずっと出していなかったんでしょうね、母が「ひとつでいいの?」と。

「これも!!」と手に取ったのがあの日の曲、「Dreams come true」だったわけなのです。

 

運命の「POTATO 2008年 12月号」。

それから程なくして、私の人生を大きく変える出来事が起こります。

そうです。ついに本屋さんという畑から、光り輝く「POTATO」を掘り起こします。笑

9歳の私には読めない文字だらけの誌面でしたが、そんなのどうでもいいほど、紙の中から強烈な印象を与えてきた人が1人いました。

くるんとしたまあるい目、ちょこん、ちょこんとはねさせた髪、小学生から見てもかわいいフォルム、でもどこか大人びた雰囲気。そんな人がまっすぐにこちらを見ていました。

そうです。有岡大貴さん、あなたですよ…!!(こんなブログ絶対見てない)

どうしようもなく目が離せなくなった私は、毎日そのページばかりを開き、インタビューの読めない文字も漢字も調べては親に訊いて、それはそれは必死に読み漁りました。

有岡くんになりたい!!!

なんか、有岡くんになりたい、と思っていました。気づいたら。

見すぎて、好きすぎて、なんかもうなりたいんですね。その人に。

有岡くんがインタビューで、いつもお風呂でまず髪を洗って、シャンプーつけたまま洗顔して、一気に洗い流して、トリートメントをつけて、なんとかかんとか、って喋っていたのをそのまま全部真似し始めました。笑

お風呂に入るのがめっちゃ楽しくなって、「これで明日になったら私も有岡くんになれてるかも。」と勘違いでもいいから思うだけで、よく眠れるようになって、朝が来るのが楽しみで仕方がなくなりました。

なんとなく、彼は自分に足りないものを持っているという気がしてなりませんでした。

人生で初めてできた、憧れの人、それが有岡大貴くんだったのです。

 

私、有岡くんになりたい!!!!笑

 

(続く)