有岡くんになりたかった小学生が音楽家になるまで

1999年生まれの中の人が、8歳で有岡くんと運命の出会いを果たし、その後の人生が一変した話を長々と綴る完全自己満な自分史です。

9歳の少女、「有岡くんになりたい。」と思う。Vol.2

某「ザ・エネルギッシュフルパワーマックス倶楽部」との出会い

POTATOを開いては、CDを聴き、ジャケット写真を眺めては、CDを聴き、そしてまたPOTATOを開く。そんな毎日が始まりました。

でも、どれだけ有岡くんの情報を摂取しても、有岡くんのルーティーンを真似しても、私が有岡くんになれる気配は一向にありませんでした。

(当たりまっえだよー前田さーん、前田さんなんてうちにはいーないー。)

どうすれば有岡くんになれるのか。考え過ぎてもはやもう有岡くんになったのではないかと思っていたある日、NHKのBSで某番組と出会います。

そう。全世界のおたくと運命の赤い糸で繋がっているというより無くなっても引き剥がされても何がどうであれ永遠を誓ってるしいや忠誠を誓う!!!!結婚してくれ!!!!な、あの番組。ザ・な倶楽部です。笑

 

そして私の小学校生活、ついに「サクラ咲ク」

そしてその番組のオープニングで聞こえてきたある曲のイントロが、私の人生を変えます。

はい。ついに私の小学校生活にサクラが咲キ、笑

約半年ぶりの登校を果たしたのです。

今でも鮮明に覚えているあの瞬間。爽やかで勢いのある力強くもどこか優しい音。

初めて聴いたそのエレキギターの音は、私の中に本当はずっとあった、底力のそのまた奥の奥の方から込み上げてくるそんな限りないエネルギーの存在を気付かせてくれました。(あの感覚めっちゃうまく言えた…達成感。)

でも、そんなことで!?って感じですよね、わかります。私もそう思います。笑

イントロを聴いただけで、あ、明日行こっと。ってなったんですよね。本当に不思議…。

のちにその音の主と偶然の出会いを果たすとは思いもせず、9歳は番組にのめり込みます。

もちろん、画面いっぱいに映る有岡くんの仕草や表情にも。笑

 

私、ちょっと踊りたい。

ちょうど学校に行かなくなった頃、私は初めて「ダンス」というものに触れていました。

きっかけは夏休みに1人自宅で勝手にやっていた、おはガールの皆さんの真似っこです。

「リングバトン」という番組独自の手具とチアのポンポンを使いながらパフォーマンスをする3人の子どもたち。どうしても私もやりたくて、買ってもらいました。

付属でついてきたDVDを見ながら、ダンスを覚える毎日。もう夢中でとにかくやります。

そしてそれを全て覚えた頃、母を部屋に呼び出して完成したものを見てもらいました。

それを見た母が「チアをやってみたらどうか」と、学校に行かなくなってから教室に連れ出してくれたのです。

しかもなんか、親の欲目だと思うのですが、誰にも習っていないのにそこそこ上手くて映像の通りに踊れていたらしいです。あと、すんごく楽しそうだったと。

それがきっかけで週に1回、チアダンスのレッスンに通い始めました。

しかも偶然にも、その教室、あのCDショップ(Vol.1登場)の横にあります。笑

 

私、有岡くんみたい…!!!!!!!

そして、9歳にとってまた衝撃的な日が訪れます。

そう。初めてのチアダンス合同発表会です。

 

本番1ヶ月前になると、教室の空気が変わりました。

当日を想定して行われるいつもとは違ったレッスン。

より細かな確認作業。

次第に厳しくなる先生の要求。

用意してもらった特別な、その日だけの衣装。

 

当日になれば、会場のホールの一角に用意された楽屋の大部屋。

集まる出演者たち。

裏の動線ですれ違う大人たち。

「ここから先は出演者以外立ち入り禁止。」の看板。笑

そしてリハーサル。

 

全てが新鮮で、わくわくして、特別な人になれたみたいで、

そしてそのときめきが、あの日JUMPに出会った時とどこか似ていました。

それとなんか、発表会って少◯ラだなと思ったんです。(違う)

 

なんか私いま、有岡くんみたい。

 

って思いました。

もっと有岡くんみたいに踊りたい。

明日も発表会やりたい。

もっと有岡くんになりたい!

小学4年生、5月の日曜日のことでした。

帰り道に嵐の「Hero」を聴きながら、初めての感情に浸りました。(ませすぎ)